競馬 想い出の歴史

競馬といえば、武豊

生命(いのち)を賭けて

 昨日はユタカのJRA通算4000勝、今日のスプリンターズステークス。これが今週の多くの競馬ファンの関心事だった。乗り続ける限り、最早、その総てが記録となる武豊のメモリアルと、選び抜かれた馬、騎手によって行われるGⅠ。競馬の華やかな一面である。華やかー。そんな言葉とは無縁の生命を賭けた戦いが、同じ日、同じ競馬場で行われている。

 スーパー未勝利

 競馬ファンなら一度は耳にしたことがあると思う。3歳の夏まで勝利を挙げられなかった馬たちが、毎年、この開催に集う。彼らのラストチャンス。それが、スーパー未勝利。ここで勝てなければ、JRAでは出走できなくなる。運良く地方へ移籍できる馬もいるが、その殆どは廃用となる。廃用。用が無い。つまりそれは死を意味する。直接的な言い方をすれば、殺される。人間によって。

 競馬とは、品種改良である。 “Thoroughbred” という言葉が、それを如実に表している。

 Thoroughbred

「徹底的に改良された」という意味。つまり、速く走る為だけに改良された種。それが、サラブレッドである。だから速く走ることのできない馬たちは、サラブレッドとしての生きる権利が与えられない。サラブレッドとして生きるとは、種牡馬繁殖牝馬になること。その名を血統表に残し続けるということ。それができない馬たちは、殺される。残酷だ。それはロマンなどという言葉で片付けて良いものでもない。然し乍ら、今更、やめることはできない。何故なら、競馬をやめる、それは即ち、総ての馬を殺すということ。走る為だけに改良されたサラブレッドが野生で生きることはもう、できない。全馬を乗馬にすることもできない。競馬は、やめられない。然し、競馬を続ける限り犠牲が生まれる。そうである以上、生命を奪う我々人間は、彼等の犠牲によって競馬が成り立っているということを覚えておくというのが、我々競馬ファンのせめてもの、責務ではなかろうか。

 

 

 ※今日のスーパー未勝利は、中山3Rダート1800mで11:05。阪神競馬は中止。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                                                  Edited 2018/09/30 9:43

                                                                                                                   yoshichika