競馬 想い出の歴史

競馬といえば、武豊

浜中俊ミッキーアイルは18着降着にすべき ~紳士のスポーツ~

   浜中俊ミッキーアイルは18着降着処分にすべき

そう思ったのは私だけなのであろうか。降着にすべきだと思っても失格にすべきではないと思った人の方が多いのだろうか。18着降着などとは、もはや時代錯誤の考えなのだろうか。私は時代に取り残された浦島太郎の様なこと言っているのだろか。“マックの時なら”という仮定で考えることは最早、時代遅れなのだろうか。

 ルールはルールだ。勿論そうだ。けれども、今回の一件はとてもその一言では片付けられない様に思える。競馬は野球のラフプレーとは訳が違う。一歩間違えれば、人が死ぬ。それは危ない騎乗でなくとも、馬の故障で鞍上は危なくなる。今回浜中は確信犯だ。右鞭を入れ続ければ、当然、馬は左にヨレる。これを知らない騎手はいない。だから、18着降着にすべきだと思う。同じく斜行していた様に思えたイスラボニータの蛯名は、再三パトロールビデオを見た結果、ゴール後にしか斜行していなかった。蛯名は真っ直ぐ走らせていたが、浜中の被害馬たちが左にヨレたためそう見えただけであった。

 

 思えば、今年初め二度に渡る落馬を経験した。その時の落馬から彼は何も学ばなかったのだろうか。自らが加害者になることを考えなかったのだろうか。考えなかった訳がないと思いたい。然し乍ら、今回の彼のプレーにはそんなことを考えた様には見えなかった。彼は以前、武豊を尊敬していると言っていた。けれども、武豊の心掛けている彼の代名詞となったフェアプレーの精神は全く感じられなかった。それどころか、そういった言葉が嘘に聞こえる様なプレーだった。何より、彼はGⅠという競馬の最高の舞台を台無しにした。何度も言うが、競馬は一歩間違えれば人が死ぬ。だから、最近彼が良い馬に乗れず結果を出すことを焦っていたといたとしても、それは言い訳には成り得ない。競馬は紳士のスポーツである。

   競馬は紳士のスポーツ

その言葉をプレーによって体現するジョッキーがつい一年前までは競馬サークルにはいた。1万回以上騎乗し、1,900勝以上したにも関わらず、フェアプレー賞19回の受賞は歴代最多であり、賞金、勝率、勝利数の全てにおいて東か西で5位に入り、制裁点0でなければ獲れず、武豊岡部幸雄も獲れなかった特別模範騎手賞も歴代最多の2回受賞した彼が。その時、武豊は、“あれだけ騎乗数と勝ち鞍で取れるんだから凄い。”と言った。武豊を以ってしてもそう言わしめた男。現役の間、常にフェアプレーをし続け、1,918もの勝利を積み重ねた彼が。それだけの記録を残し乍ら、引退式もせず、静かにステッキを置いた藤田伸二が。

   伸二を決裁委員に

 誰よりもフェアプレーを心掛け、実行して来た伸二を。行動は言葉よりも雄弁に語るという。フェアプレー賞19回。特別模範騎手賞2回。この誰も成し遂げられなかった騎手にとって最も重要であり、最も初歩的であり、今のトップジョッキーたちに欠けているフェアプレーの精神。誰よりも紳士なプレーであった彼を。紳士のスポーツが紳士のスポーツたるために。できることなら、決裁委員でなく、もっと権限のある役職を。危ないプレーをしても、そういうプレー咎められない、やったらやったもん勝ちになる現行ルールを変えてほしい。“人間なのだから降着にならない”と頭を過るのも分かる。オークスの池添もそうだ。だから、ルールを変えてほしい。そして、エージェント制などによって変わり果ててしまった競馬界を元の古き良き競馬サークルに。だからこそ、伸二にJRAの改革をしてほしい。

 そんな日本の荒れ果てた競馬界をなんとかできるの伸二しかいない。難しい。現実的に困難なのは分かる。未だにムラ社会の競馬界に、JRAに、半ばケンカ売る様な形で辞めた彼を要職になんていうのは流石に無理かもしれない。けれども、彼がJRAの要職に着けば、何か変えてくれるのではないか。そんなことをやってくれると期待させる魅力が彼にはある。何かをしてくれる。そんな言葉で言い表せない魅力が彼にはあった。フサイチコンコルドのダービーだってそうだった。音速の末脚が炸裂した。1人気の武豊跨るダンスインザダークを差し切った。あの時の様に。やはり、それでも、伸二は無理かもしれない。ならばせめて、元騎手を決裁委員に。

 

現行ルールがダメなのは言うまでもない。私はマックの時のルールが一番良かったと思う。けれども、グローバル化を掲げ、JRAなりに考えた結果、今のルールがあるのではなかろうか。そうであるならば、そう簡単に元に戻すことはしないであろう。ならばせめて、GⅠだけでも、旧ルールに戻してほしい。競馬ぐらいそんなにグローバル化しなくてもいいではないか。別にペスリエが時々来るくらいは良いではないか。第一、種牡馬グローバル化は世界的にセントサイモンの悲劇を起こしかねない。そうなれば、競馬は亡くなってしまう。競馬ぐらいガラパゴス化でいいではないか。

 

 

 私は今回、再三、マックの時はと言ったと思う。

 91年の天皇賞・秋  

秋天皇賞制覇を狙う断然1人気で迎えたメジロマックイーン。鞍上は前年にはオグリキャップを奇跡の復活に導いた若き天才武豊。府中2000の大外18番。ゲートが開くと積極的に出して行き、外枠の不利を早々リカバリーし、道中先頭集団に着け、直線弾けて、2着に5馬身着けてゴール。マックの強さと若き天才の手綱捌きにスタンド沸いていた。しかし、この時場内に審議青ランプに気付いている者はほとんどいなかった。長い審議終え、結果は18着降着処分。1コーナーで積極的に出して行った際に後続の進路がなくなり、あわや大事故になりかねないものであった。兄弟子の河内洋でさえ、「あれをありにしたら、怖くて競馬ができない」と言った。けれども、あの一件以来、武豊から危ない騎乗は消え、フェアプレーが彼の代名詞になった様に思う。

 終わったことをいつまでも引きずっていても、仕方がない。むしろ、不幸中の幸いと考えるべきだと思う。今の時期に漸くGⅠでかなりの馬が回って来る様になった武豊をケガでもさせていたら、それこそ、マックの時の武豊より叩かれただろう。浜中は今回のことをきっかけに変わって行かなければならない。変わらなければ、意味がない。馬が左にヨレているのに右鞭を打ち続けることなど二度としない様に肝に命じて欲しい。そして、いつしか、武豊藤田伸二といった偉大なフェアプレーを語るのに彼ら抜きにしては語れないジョッキーの一人になってほしい。騎手の成長して行く姿を見つめるのも、競馬の一つの魅力である。フェアプレーと実績の両方で語られるジョッキーになった彼を見てみたい。いつしか、フェアプレーの浜中と呼ばれる日が来ないだろうか。暗闇の中に微かな光が見えた。そんなレースであった。