読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

競馬 想い出の歴史

時代は移り変わる。けれども今も変わらぬことがある。それは武豊がトップを走り続けているということ。そして、彼は日々進歩しているということ。

無事に回って来てくれ。~天皇賞・秋 1枠1番 逃げ馬 鞍上武豊~

 無事に回って来てくれ。それだけでいい。

エイシンヒカリが1枠1番だと知ったときそう思ったのは、私だけでないはないはずだ。

 天皇賞・秋 1枠1番 逃げ馬 鞍上武豊

彼が、あの光景が、脳裏に鮮明に蘇った人も多いであろう。第3コーナー回ったところで急にペースを落とし、外埒に彼を誘導し、下馬した武豊の姿が。沈黙の日曜日。1998年天皇賞・秋。絶対的本命単勝1.2倍だったサイレンススズカ予後不良。海外遠征のプランもあった。そして、

サンデーサイレンス 母ワキア 母父ミスワキ

サンデーサイレンス×ミスタープロスペクターという今日の2大主流血統を持つ。だから、彼が種牡馬として生きることができたら、今日の血統は全く違うものになっていたであろう。彼は全てが奇跡の馬だった。

 スタートを切ると、すぐさま後続と大きな差を広げ、1000mを57~58秒台で通過し、その後も淀みないペースで進み、上がり3F36秒台を叩き出す。人は彼を“逃げて差す”と評した。スタート後、すぐさま後続と差を広げる大逃げという競馬スタイルは意識的にやっていることではなく、他馬との絶対的スピードの差からそうなっていると武豊言っていた。この馬にとって1000mを58秒台は普通のペースだった。全盛期には、毎日王冠エルコンドルパサーグラスワンダーを相手に59キロを背負い、1000m57秒7というハイペースで飛ばし0.4秒も差をつける圧勝。武豊は1000mを56秒台で通過しても勝てると言っていた。

 毎日王冠で誰もがサイレンススズカ天皇賞・秋の制覇を確信していた。武豊もあの日が1番調子が良かったと、後に語っていた。しかも、彼は1枠1番に入っていた。けれども、彼はその日が彼の命日になってしまった。そういえば、6着にサイレンススズカが前の年敗れ去ったとき5枠9番だった。今日のエイシンヒカリも5枠9番だった。これも何かの巡り合わせであろうか。あの日の忘れ物を取りに来たのではないだろうか。スズカに天から見守っててほしい。エイシンヒカリと君が脚を折って助けたユタカを。ユタカを勝たせてほしい。